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京都「聴竹居」心豊かな生活 国重文指定で脚光
 京都府大山崎町の天王山に立つ「聴竹居(ちょうちくきょ)」。環境工学を取り入れた和洋融合の名建築として知る人ぞ知る存在だったが、5月に国の重要文化財指定の答申を受け、見学客が押し寄せている。人々をひきつける聴竹居の魅力を、大解剖する。
■家族の空間を最優先、椅子と畳の生活融合
 玄関の先の扉を開くと視野が開け、リビングが広がった。「客間を極力コンパクトに。家族の生活が最優先の設計です」。地元住民らでつくる「聴竹居倶楽部」の谷口久敏さん(82)が見学客へ説明を始めた。
 設計者の故藤井厚二氏は母や妻子らと聴竹居に暮らした。居住空間を一目で見渡せる間取りが家族の絆を深めたのかも。
 リビングの一角には、仏間を兼ねた三畳の「小上がり」。床より約30センチ高く、畳に正座すると、椅子に座った見学者と目が合った。「椅子生活の藤井夫妻と畳の上の母が同じ目線で心地よく暮らす工夫です」との解説に思わずうなずいた。
 今や大人気の聴竹居。見学予約は7月だけで約900人。今年は現在までに4千人を超え昨年1年間に早くも迫る勢いだが、10年前は老朽化で取り壊しの危機にひんしていた。「聴竹居倶楽部」が保存活動を始め、昨年12月に竹中工務店(本社・大阪市)が取得して存続へ道筋がついた。同倶楽部の田邊均事務局長(63)は「多くの人に来てもらえるのはうれしいが、建物がもつか心配」と話す。
 見学を始めて10分。ここまでの急な坂でにじんだ汗がひいた。案内役の谷口さんが小上がりの側面をライトで照らすと床下の土管につながる穴が現れた。「クールチューブ」だ。「ここから出る空気は外より3~5度低いんです」。土管は風のよく当たる天王山の斜面に通じる。外気の取り込み口に触れると、ひんやり。この天然クーラーのおかげで涼しく感じたんだ!
 続いて縁側へ。全面を覆うガラス窓を木々の緑が埋める。眺めは美術館の名画のよう。見学者は「ずっと居られる」とため息を漏らした。そんな空間にも、数々の工夫がある。例えば、夏の直射日光を遮り、冬は日差しを入れるひさしは、すりガラスで室内から見えないように設計されている。
 台所では、「男の人やのに細やかに考えてはる」と女性陣から絶賛の声が上がった。冷蔵庫とこんろはオール電化を先取り。使い勝手を考えた設備や導線に、「男子厨房に入らず」の時代でも、藤井氏は料理できたのかな、とふと思った。
 一通りの解説が終わり、陶芸教室講師の橋本直子さん(44)=向日市上植野町=は「細部まで合理的だけど、美しくユーモアもあって魅力的」と名残惜しそうに内装を眺めていた。
 家族との日々の生活を大切に、環境にも配慮する。聴竹居に藤井氏が込めた思いは、便利だけどせわしない毎日で忘れかけていた心豊かな暮らしを、思い出させてくれた。
■四季折々、理想のわが家
 昭和初期のたたずまいをタイムカプセルのように封じ込めた「聴竹居」(京都府大山崎町)。建築家・故藤井厚二氏が目指した「理想の住まい」では、どんな暮らしが営まれていたのだろう。
 縁側から景色を望むと、眼下には三つの川の合流地帯。今では姿を消した、川面に浮かぶ渡し船。巨椋池も見渡せた。「ほんと、眺めがよおございました」
 国重要文化財指定の答申から約1カ月がたった6月中旬、東京都江東区の竹中工務店東京本店。同社が改めて行った聞き取り調査に、藤井氏の次女小西章子さん(93)=港区=が、聴竹居で過ごした戦前の子ども時代を振り返った。
 「夏は風が両方から抜けて涼しいし、冬は日当たりがいい。縁側に年中いたわ」。菓子を食べたり、雑誌を読んだり。縁側は家族みんなの憩いの場。いつも母屋の隣の閑室で勉強していた父も、着物姿でくつろいだ。トランプで遊んでもらった記憶が残る。
 据え付けのベンチや椅子に座ってテーブルを囲む朝、最後は決まって薄茶だった。室内には花が生けられた。夕方、仕事帰りの父を一家そろって玄関で迎えた。父と母は椅子に、祖母は仏壇がある小上がりの畳の間に正座する。子どもたちはその段差に腰掛けた。「畳の部屋を使うのは寝る時だけ。正座の習慣がなくて。お茶の稽古ですぐにしびれてしまいました」と章子さんは笑う。
 父亡き後の戦中の日々。章子さんは母と、板間と畳が共存する居住空間を襖で仕切り、畳の間だけを火鉢と掘りごたつで温めて寒さをしのいだ。「炭も配給でしたから。工夫して狭い所で暖かくしなきゃ」。テニスコートは空襲の標的になると村に撤去を命じられ、掘り起こして芋畑にした。
 1952年ごろ、章子さんは夫と長男と東京へ。シャワーに冷蔵庫、水洗トイレ…。聴竹居の暮らしが時代の最先端だったと気づいた。「きっとぜいたくなことだったんですね。生活が逆戻りしたみたいでした」。東京の家にすきま風が吹くと、「山崎の家には一切なかった」と実感したという。
 保存に携わる「聴竹居倶楽部」の代表理事で同社設計企画部の松隈章さん(59)は聞き取りの後、つぶやいた。「藤井氏が戦後も生きていたら、できたことがたくさんあったはず」。天王山の麓に約1万2千坪の土地を購入した藤井氏は、聴竹居を含む三つの実験住宅の他にも3軒の「小住宅」を建て、間取り図集を作った。「聴竹居で住宅の理想型を実現した次は、住宅地の理想郷を作ろうとしていたのかも知れない」
 聴竹居のそばに住む土井洋子さん(69)は、その小住宅に暮らしていた。畳の小上がりを備えた板の間のリビングで、野球ごっこをして遊んだ。奥の座敷には西日が差し込み、障子へ映り込む木々の影に風情を感じた。夏でも居間で寝ていると母が「冷えるよ」と言うほど。大きく張り出した軒は、さおを数本かけて物干し場として使えた。
 小住宅は78年、手狭になって建て替えた。聴竹居に来ると昔の家を思い出す。「この一帯の環境を守りたい」。今はボランティアとして、聴竹居への見学客を迎え入れている。











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